第2回 留置所は安眠所 ― 中学生の“社会科見学”

山田さん(仮) × 中塚祐起(Plusらぼ)

 

電気ガチャに始まり、借金のカタとして生き延びた少年期――。
第1回では、山田さんの「理不尽すぎる子ども時代」をご紹介した。だが、そこで描かれたのはまだ“序章”でした。

私生活では“ワル”だった

山田「中学入ったころはもう、毎日イライラしてましたね。喧嘩ばっかりしてました。」

中塚「喧嘩ばかりって、どんな感じやったんです?」

山田「いやぁ、もう、ちょっと気に入らんことあったらすぐ手が出てましたね。先生にも楯突くし、しょっちゅう補導される。警察署に連れて行かれるのも慣れっこですわ。」

そして唐突に、エッジの効いた一言が飛び出す。

山田「留置所のほうが安心して眠れましたね。布団あるし、ご飯も出るし、誰も殴ってこないし。どこにかに連れていかれることもない。ほんま、“安眠所”でしたよ。」

中塚「えぇ…」

山田「でも当時の僕からしたら、家にいるよりマシやったんです。『早よ捕まれへんかなぁ』って思うときもあったくらい。」

普通なら“罰”の場所が、彼にとっては“保護”の場所。社会の逆転現象に、私は笑いながらも背筋が凍った。

周りの大人たち

山田「学校の先生も、僕の状況知ってても『お前の家の問題やろ』って感じでしたね。」

母は外面がとにかく上手かった。児童相談所に呼び出されれば「ちゃんと育てます」と誓約書を書き、家庭訪問の日だけ家を整えて“良い母親”を演じていたらしかった。

山田「ほんま上手いことやってましたよ。“良い母親”とか、そんなん全然ちゃうのに(笑)。びっくりしますよ。児童相談所の職員さんの前では『この子にはホンマに苦労をさせてしまって』とか言いながら、頭をものすごい撫でてくる。職員さんがいなくなったら、すぐにそっけなくなる。」

中塚「なんでそんな感じやったんですかね?」

山田「んー手当とかそんなんがもらえへんくなるからちゃいますかね。」

――母がなぜそこまで外面を繕ったかといえば、手当が止まるのを恐れていたからだ。
母は母子手当(児童扶養手当)をアテにしていた。もし子どもが児童養護施設を利用することになれば、それらが打ち切られてしまう。
だから「良い母親」をしていた。恐怖さえ感じる素朴な動機。

助けてくれた大人もいた

中塚「誰か助けてくんなかったんですか?だって、子どもが車に詰め込まれてたら、止めるでしょ普通。」

山田「親戚もおらんようになってましたからね。母が金のトラブルばっかりで、みんな距離置いてました。ほんま、頼れる大人はいなかったです。」

学校でも地域でも“ワル”としてレッテルを貼られ、支援の網はかからない。
唯一の「安心の場」は留置所という、皮肉な現実だった。

山田「でも、少年野球の親御さんとか、友達の父ちゃんとかね。ご飯を弁当に詰めてくれたり、『今日は泊まっていけ』って言ってくれたりはありましたね。学校の先生の中にも、夜に様子を見に来たり、昼ごはん買ってきてくれる人もいました。ほんま、ありがたかったです。」

中塚「そういう人がおったのは救いですね。やっとハートが温まる話が聞けました。」

ここで私はふと、自分自身の感情を口にした。

中塚「お話を聞いていて『あの時、自分が何かしていれば、この人はこんなひどい目に遭わなかったんじゃないか』と思ってしまいますね。私は職業として支援者をやってるんで、できることに限界があるし、正義の味方でもない。でも、それでもできる限りのことはしたいですね。なんていうか、そうじゃないと救われないじゃないですか。私自身も。青臭いですけどね。明日も頑張らんとアカンなって思います。」

山田「いやぁ、ええこと言わはりますね(笑)。」

接遇教育とむき出しの暴力

山田「中1の終わりごろからですね。組の事務所に出入りするようになったのは。“お前ここ行け”って言われて。」

中塚「えー・・・事務所というのは・・・アウトレイジ的な感じのやつですか。」

山田「あんまり詳しく言えないんですけどね(笑)掃除、炊事、洗濯。間違えたらすぐ殴られる。お茶の出し方一つでもアウト。首根っこ掴まれて、奥でボコボコ。電話番なんかも地獄でしたよ。『おう、ワシや』って言われても誰かわからんから『どちら様ですか?』って答えたら、いきなりドーンですわ(笑)。」

中塚「あーわかりやすい。」

山田「すさまじい”接遇教育”ですよ(笑)。覚えたお茶出しと電話対応。いまだに身についてますからね。」

――普通なら学校で学ぶはずの礼儀作法を、山田さんはとある事務所で学んだ。手段は「暴力」だが、結果として彼はマナーを叩き込まれた。笑って話すからブラックジョークに聞こえるが、実態は命の危険すら伴う異常な「教育」だった。

山田「ある日『行くぞ』って言われて、団地に連れて行かれたんです。行ったら、ある部屋で中年のおっさんをみんなでボコボコにしてて…。で、後でニュース見たら『あ、この人や!』って(笑)。」

中塚「いやいやいや! テレビで確認することじゃないでしょ!」

山田「そやけど、ほんまにそうやったんです(笑)。で、横でバットでフルスイングしてるから、止めに入ったんですよ。『ちょ、死にますやん!』って。ほんなら『人間はそんな簡単に死なんのじゃ!』って蹴られて。いや、死んでるやん・・・って心の中でツッコんでました(笑)。」

――ユーモアを交えて語るからこそ、恐ろしい現場が「笑い話」のように聞こえる。だが、そこで暴力を浴びていたのは確かに生身の人間であり、その場に子どもがいたこと自体が異常だ。

中塚「ドン引きですわ。マジで。草も生えない。」

山田「いやぁ、笑わなやってられないですからね(笑)。」

初めてのおつかい

山田「一番きつかったのは“運び屋”ですわ。『ここ行け、これ渡せ。中身は絶対見るな』って言われるんです。ほんま“初めてのおつかい”ですよ(笑)。」

中塚「どんだけ引き出しあるんすか。」

山田「流れてるBGMはかわいいオルゴールちゃいますよ。ドラムロールと銃声ですわ。」

中塚「違う意味で泣けますね。」

山田「でもね、こういうのは単価が高いんで、成功したらだいたい一発で解放されるんです。『これ終わったら帰ってええぞ』って。もう心の中では“ありがとうございます!”って手ぇ合わせてました。」

――子ども番組「初めてのおつかい」では、買い物を終えた子どもを家族が笑顔で迎える。だが山田さんの“おつかい”は命がけ。帰れるかどうかは運次第だった。

山田「ホンマに、よくここまで生きてこれたなぁと思いますわ。」

それでも

中塚「お伺いしにくいですが、死のうと思ったことは、なかったんですか?」

山田「ありましたよ。何回も。でも、父がよう言うてたんですよ――『芯を持て』って。なんでもええけど、自分の芯は持っとけって。それをよく思い出して・・・何とかって感じですね。」

中塚「このまま終わったら、なんか世界に負けた気がしますもんね。」

山田「そうですね。負けたくないって言う気持ちはありましたね。」

――“生き延びる”という言葉の意味を、彼ほどリアルに体現している人を、山田さんに出会うまで、私は知らなかった。


殴られた数より笑った回数のほうが少なかった少年が、気づけば“普通の大人”になっていた。

けれど、普通って、なんだろう。

――次回、リアル“カイジ”家庭編。