第1回 リアル「カイジ」の世界 

山田さん(仮) × 中塚祐起(Plusらぼ) 

「子どものころ、毎月の月初めがこわかったですよ。電気のスイッチをパチンと押して、つくか、つかへんか。つかへんかったら『あー、今月も払ってないな』って。
月初めの恒例行事が“電気ガチャ”でしたね。そのあとは『ガスはつくかな??』って。」── 

――笑えるけど笑えない。
山田さんの体験のどこまでを「不幸」と呼び、どこからを「生き方」と言うのか。
電気ガチャと借金のカタに始まる、少年の壮絶な人生。
見過ごされた子どもの現実。

山田さんとは2022年からのお付き合い。普段は在宅で業務に取り組まれているが、月に一度は私が訪問して近況を伺っている。 

きっかけは些細な雑談だったと思う。「父母はお元気なんですか?」「子どものころはどんな感じだったんですか?」そんな定番の質問の流れで、いきなり飛び出したのがこの壮絶すぎるエピソード。 

にこやかに語られるのに、内容は度肝を抜かれるほど過酷で、私は思わず「リアル『カイジ』じゃないっすか」と中高生みたいなリアクションをしてしまった。 

※福本伸行氏による人気漫画『賭博黙示録カイジ』。
主人公の伊藤開司(カイジ)が多額の借金を背負い、命を賭けた究極のギャンブルに挑む物語。
 

父の死、母との関係、借金、児童労働、社会資源の空白、新たな家族、事故と受傷。
私たちが生きる日常の裏側に、こんな“暴力的で理不尽な世界”が本当にある。
しかも、ユーモアを交えて淡々と話す人が目の前にいるのだ。

電気ガチャの子ども時代

中塚「子どものころ、どんな毎日を過ごしてたんですか?」

山田「いやぁ…月初めがいちばん緊張しましたね。電気スイッチをパチンと押して、明かりがつくかどうか。“電気ガチャ”ですよ。外れたら『あぁ、今月も払ってないんか』って。真っ暗な部屋で立ち尽くすのが月初めの日課でした。」

――笑って話すが、背筋が寒くなる話だ。電気やガスが止まるのは大人でもつらい。それを小学生が「今日はつくか」と確認していたという事実に、言葉を失う。

山田「小1のころ、母から『ホンマにあんた堕ろそう思ってた。産みたくなかった。お父さんが産めって言ったから産んだだけや。』って言われましたね。あれは流石に堪えましたわ。」

普通なら子どもの自己肯定感を育てるべき場面で、真逆の言葉が突き刺さる。山田さんにとって、家庭は守りの場ではなく、最初の傷を与える場所だったようだ。

山田「だから小さい頃から“安心”って感覚はなかったです。常に『次はどうなるか』って不安がありましたね。」

――「安心」という感覚がない幼少期。普段、対人援助の仕事をしていて、これは最も根深い体験の一つだと感じる。環境が人を形作るというが、山田さんの場合は「不安こそが標準設定」だったのだ。

父の死と、母の借金

山田「小4で父が亡くなってから、全部変わりましたね。母は家にいないことが多くて…。借金を重ねて、そのツケを僕が払うことになったんです。」

中塚「小学生で?どういうことですか?」

山田「借金分の金額を働くんです。小5で牛の皮剥いでました。血の匂いにまみれて学校なんか行けるわけない。ある建設現場じゃ『ここからここまで穴掘っとけよ』ってツルハシ渡されて、プレハブの隅で泣いてました。」

学校に通うはずの小学生が、牛舎で血まみれになり、建設現場で汗だくになり、時に泣きながらスコップを握る。子どもにとってあまりにも不条理な現実が日常だった。

山田「マグロ漁船とかカニ船とかにも行かされましたね。冬の海に子どもが出てるんですよ。『死ぬんちゃうか』と思いながらやってました。」

中塚「ノンフィクションなんですよね?にわかに信じがたいです。っていうか、今の子は剣スコ、 角スコって知らんのちゃうかな。」

山田「知らん子の方が多いでしょうね(笑)船から降りると知らない土地なもんで、あてどなく歩いてたら、警察に保護されたこともありました。『どこから来たんや。何があったんや。』って、事情を聴かれるけど、仕事前の契約書に『ここであったことは口外せず、全部忘れること』って書いてましたしね。とにかく怖くて答えようがないし、事情は言えなかったです。」

――山田さんが温和に話すからこそ、余計に重みがある。
労働の現場に「子ども」がいたという事実。これは社会資源が全く機能していなかった証拠でもある。

借金のカタで連れ回される

山田「お迎えが来るんですよ。“行くぞ”って。母の借金額によって1週間で終わる時もあれば、1か月以上帰れん時もある。」

中塚「完全に借金のカタにされてるってこと?」

――ここまでくると「児童労働」ではなく「人身売買」に近い。借金の額と子どもの命が直結している構図。これを“普通”に受け入れざるを得なかったことが恐ろしい。

山田「中学のときは、ある事務所に入って雑用やってましたね。掃除、炊事、洗濯。お茶の出し方一つで首根っこ掴まれてボコられます。接遇教育ですよ(笑)。電話番も地獄でした。『おう、ワシや』って言われても分からんから『どちら様ですか?』って聞いたら、いきなり殴られる(笑)。」

中塚「いやぁ…ブラック企業どころやないですね。」

山田「『お前、若いのにようやるやんけ』『がんばれよ』と言われて、財布をそのままもらったりしたこともありましたけどね(笑)」

――学校では「目上の人に礼儀正しく」と教わる。だが山田さんの場合、その教育は“暴力”として行われた。ブラック企業ですら霞む異常さ。

山田「でも、そういうのが“当たり前”でした。僕にとっては。選ぶ余地はなかったですからね。“借金のカタ”って言葉が一番しっくりきますね。」

借金の額によって子どもが人工として差し出され、労働や雑用に使われる。

信じられますか?これ・・・平成の話なんですよ?

山田「僕は事務所に入ってたわけちゃうんですよ。その『事務所のモン』とかじゃない。ただ“借金のカタ”で連れて行かれて、“初めてのおつかい”をさせられてただけ。」

――「初めてのおつかい」。親に手を振られてスーパーに行く微笑ましい番組があるが、山田さんの「おつかい」は命がけだった。笑いながら話す彼の横で、何度も涙をこらえたのを覚えている。


電気ガチャに始まり、借金のカタとして生き延びた子ども時代。 

その行き着く先は、大人の世界でも震える“裏の仕事”

次回は、命をかけた『おつかい』の記録ー